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 「答申」は、長時間勤務の現状と要因について、小学校では授業時数が多く児童在校中は校務分掌業務や授業準備を行う時間の確保が難しい、中学校・高校では生徒指導や進路指導、補習指導、部活動に時間がとられ授業準備等の時間の確保が難しいとしています。また、10年前の調査と比較して全ての職種において勤務時間が増加している要因に、「若手教師の増加」「総授業時数の増加」「部活動時間の増加」を挙げています。とりわけ、これまでの業務改善により短縮された時間を上回って、「特に授業や部活動の指導時間が増加した」とし、総授業時数を増加させた「平成20年の学習指導要領改訂以降、現在まで19286人の定数改善が図られているが、(中略)、教師一人一人の業務負担の軽減という観点から十分な成果が生じているとは言えない」と指摘しています。その上で、「教師の長時間労働の是正は待ったなしの状況」であるとの認識の下、文部科学省に対して「働き方改革に必要な制度改正や教職員定数の改善などの条件整備はもちろんのこと、教育委員会や学校に対して、働き方改革の意義や取組を十分に浸透させること」を求めています。

 「答申」が示すように、教員の長時間労働の改善のためには、まず教職員定数増が検討されなければならないはずですが、「答申」における具体的な方策は、授業時数をさらに増加させる改訂「学習指導要領の円滑な実施」を前提として、①勤務時間管理の徹底と勤務時間等を意識した働き方、②業務の明確化・適正化、③学校の組織運営体制の在り方、④勤務時間制度の改革、⑤働き方改革の実現に向けた環境整備、の5項目の検討にとどまっており、教員定数増の具体的な方策は示されていません。

 「答申」が教員定数増を避けていることは、決定的な欠陥と言えます。また、5項目の検討内容では、長時間勤務の抜本的な解消とならないだけではなく、「より短い勤務でこれまで我が国の義務教育があげてきた高い成果を維持・向上する」として教育に効率と一面的な成果を求めるなど、子どもの教育の充実の観点や、教育の自由の確保などの観点などからも看過できない問題を含むものとなっています。以下に中教審「答申」、及び文科省「ガイドライン」の根本的問題ついて詳述します。

 (1)「答申」は、「授業改善のための時間や児童生徒に接する時間を確保する勤務環境の整備」を掲げていますが、実態は教員一人あたりの授業時数過多により、授業改善どころか日々の授業の準備すら正規の勤務時間内で行うことができない勤務環境となっています。また、子どもに接する時間は一定確保されているものの、教員が心身共にゆとりをもって子どもに接することができないのが現状です。

 今の学校現場は、小学校では3年生以上がほぼ毎日6時間授業となるなど過密な教育課程となっており、正規の勤務時間7時間45分のうち、放課後までの約7時間15分程度(435分)が、1日の所定の日課に基づき教員の業務内容が定まっています。すなわち、朝学習で10分、6時間授業(1単位時間45分)で270分、5回ある子どもたちの休み時間で75分、給食指導で40分、朝・帰りの会で20分、清掃で20分の計435分は、教員は日課にもとづく教育活動を分単位で行い忙殺されています。正規の勤務時間のうち、日課に拘束されない時間は、休憩時間を除くと30分程度しかなく、うち15分は朝の職員の打ち合わせ等に割かれています。したがって、正規の勤務時間の中で、日課に拘束されない時間は15分程度しかなく、その中で教員の本来業務である授業準備、教材研究、テストの採点、宿題・ノートの点検、保護者への連絡、学級通信の作成などすべてを行うことは不可能であり、超勤を余儀なくされています。中学校では、1日の持ち授業時間は平均すると4時間程度(1単位時間50分)であることから、放課後までに小学校より70分程度多く時間が生じるものの、その分、放課後は生活指導や部活動指導、生徒会の委員会指導などに多くの時間が割かれ、そのほとんどが正規の勤務時間外に行われており、平均して小学校よりも超勤が多くなっています。このように小・中ともに、日課に縛られないわずかな時間(小学校約15分、中学校約70分)の中で、教員の本来業務である授業準備、教材研究、テストの採点、宿題・ノートの点検などですらすべて行うことは不可能であり、本来業務自体が正規の勤務時間外に行わざるを得なくなっているのが現状です。本来業務以外にも調査・報告や校外での会議等の業務などがあり、中学校ではさらに部活動が加わります。結果として小・中ともに毎日2時間近くの超勤を余儀なくされ、1日の中で実際に休憩とった時間は平均5分程度と過酷な勤務が強いられています。この状況では、仕事のやり方を工夫する余地などありません。しかも、ここで示した業務は、何れも子どもたちへの教育を充実させる上で不可欠、かつ、直ちに処理しなければならない業務ばかりです。

 以上のように、現在の超勤・多忙化の根本的要因は、教員の持ち授業時数が多いことにより、正規の勤務時間内に授業準備などの不可欠な業務を処理することが困難なことにあるため、その解消には、教員一人当たりの持ち授業時数を削減すること以外にありません。教員一人当たりの持ち授業時数を削減するには、「学習指導要領」を改訂し年間標準授業時数を減らすか、「標準定数法」を改正し教職員定数を増加する必要があります。中学校においては、部活動を社会教育に移行すべきです。

 (2)しかし、中教審「答申」は、これまで以上に授業時数を上乗せする改訂「学習指導要領」の円滑な実施を目的とし、①勤務時間管理の徹底と勤務時間・健康管理を意識した働き方の促進、②学校及び教師が担う業務の明確化・適正化、③学校の組織運営体制のあり方、④教師の勤務の在り方を踏まえた勤務時間制度の改革、⑤学校における働き方改革の実現に受けた環境整備にとどまっており、教員一人当たりの持ち授業時数の削減に向けた教員定数増については、「もちろんのこと」として必要性には言及しているものの、何ら具体的な方策を示していません。また、部活動の社会教育へ移行についても、段階的な移行すら示さず、現状を維持した上で、活動日数・時間の目安の設定とわずかな部活動指導員の活用による負担軽減で解決を図ろうとしています。

 結局、上記5つの方策のうち、②③以外は、人員の増加や業務の削減を行うものとなっていません。前述したように、超勤・多忙化の根本的要因は、教員の持ち授業時数が多く、授業が正規の勤務時間の大半を占めて、正規の勤務時間内で授業以外の本来業務を処理することが困難なことにあるため、仕事のやり方の工夫や効率化に向けたICT機器の活用、管理職のマネジメント強化による業務の効率的な運用、組織体制整備等などの「効率化」を行っても、決して根本要因の改善には至りません。

 上記の中で、②「学校及び教師が担う業務の明確化」は、本来担うべき業務を明確化した上で、それ以外の業務の主体を学校・教職員以外に移行していくとし、人の配置を予定しています。しかし、専門スタッフ(スクール・カウンセラー、スクール・ソーシャル・ワーカー)の活用や地域ボランティア・部活動指導員・「スクール・サポート・スタッフ」など外部人材の活用は、正規の勤務時間内に終えることのできない教員の「本来業務」を削減するものではなく、専ら「本来業務以外」を他の職員に転嫁するものに過ぎません。また、これらスタッフの役割と責任の範囲が曖昧な現状にあっては、何か問題が生じた際には、結局教員の責任が問われることになるため、スタッフ導入によって子どもとちと教員の関わり方(業務)が変わるものではありません。よって教員の負担軽減に結びつくことはなく、むしろ、他のスタッフとの連携を図るために、打合せなど教員の業務が更に増えることが懸念されます。そして、何より専門職や外部人材が仮に教員の業務の一部を担うことが可能であったとしても、それは、一日の日課の過密化を解消するものにはなり得ないことから、効果は期待できません。その上、部活動指導員や「スクール・サポート・スタッフ」などの配置は極少数にとどまっており、きわめて不十分な施策と言わざるを得ません。さらには、専門スタッフの確保についても何ら担保されておらず、地方・郡部においては確保が困難な状況が生じることは明らかです。

 次に、「学校運営体制の見直し」では、「主幹教諭」を全校配置し、ミドルリーダーがリーダーシップを発揮し業務を効率的に行うとしています。しかし、主幹教諭は、持ち授業時数がきわめて少なく制限されているために、その分他の教員に授業のしわ寄せがいき、かえって多忙化を招いています。

 以上のように、いくら「答申」の示す上記5つの施策を「パッケージ」として実行しても、教員定数改善や業務削減をすすめるものではないため、抜本的な超勤解消に至らないことは明らかです。

 教員は、正規の勤務時間を超えて長時間勤務をしても「時間外勤務手当」「休日勤務手当」「割増賃金」が支払われません。これは「給特法」が、教員には「超勤4項目」の業務以外の超勤は命じないとして、「超勤4項目」の超勤に対しては給料月額の4%の教職調整額を支払うので、時間外勤務手当等は支払わないと定めていることによります。しかし、実際には、「答申」が「所定の勤務時間外に行っている業務として超勤4項目に関する業務以外のものがほとんどであることが明らかになっている」と指摘しているように、教員の超勤のほとんどは命じてはならないはずの「超勤4項目」以外の業務となっています。しかも、超勤をして行っている具体的業務は、授業準備やテストの採点、ノート確認など、直近の授業に向けてやらざるを得ない本来業務が大半を占めています。

 そうすると、原則超勤はないはずであるので時間外勤務手当等を支払わないとした根拠自体が崩れることになり、中教審も教員が時間外・休日等に「タダ働き」を強いられている現状と教職調整額4%の支払いが実態に見合う金額ではないことを認めざるを得ないことになります。

 しかし、「答申」は、時間外勤務手当等を支払う方向で「給特法」を見直すのは現状を追認することになるので「給特法」の見直しはせず、教職調整額も4%に据え置いたままで「超勤4項目」以外の業務を含めて時間外勤務縮減の推進を優先し、「給特法」の見直しについては「必要に応じ中長期的な課題として検討すべき」と先送りしており、きわめて問題があります。また、教職調整額を「勤務時間の内外を問わず包括的に評価した」勤務時間の対価であるとし、「超勤4項目」以外の超勤の対価でもあるとしています。教職調整額は、「超勤4項目」以外の超勤を行わないことを前提とするものであり、「超勤4項目」の業務とそれ以外の業務を合わせて4%の教職調整額支給とすることは、きわめて恣意的・不当な解釈で許されません。

 結局、「答申」が示した勤務時間制度改革は、「一年単位の変形労働時間制」の導入や「勤務時間の上限ガイドライン」など、教員の勤務を条例が定める正規の勤務時間内に終了させるものとなっていません。その上、授業時間の削減と教員定数増などの抜本的な改善が行われない限り、教員の超勤が不可避である状態は今後もさらに継続されていくことになります。

 「給特法」の見直しを今行わずに将来の検討課題として先送りする「答申」の考えは、教員の「タダ働き」を引き続き容認、あるいは無視するものであり、断じて容認できません。そればかりでなく、時間外・休日勤務に対する割増賃金の支給は超勤の抑制機能を有していることから、現行「給特法」下においてはその機能が欠如したままとなっており、見直しが行われなければ「答申」が示す時間外勤務縮減の諸方策も所期の成果をあげることが期待できないことになります。

 「給特法」に対しては、制定当時から超勤・多忙化に歯止めがかからず、むしろ助長しかねないとして、中央労働基準審議会から「労働基準法が他の法律によって安易にその適用が除外されるようなことは適当ではない」と指摘されていました。現在、教員の超勤が肥大化・常態化している状況は、こうした「給特法」制定時に指摘されていた懸念が現実となったものと言えます。したがって、「働き方改革を確実に実施することを優先」し、時間外勤務手当等不支給の「給特法」を見直さないとすることは、法制上の重大な欠陥と行政の無責任を、さらに続けて放置するもので許されません。

 法律(省令)で「命じない」と定められているにもかかわらず、全国のほとんどの学校において「超勤4項目」以外による超勤が常態化していることは、現行の教職員定数では処理しきれない授業時数・業務となっていることの証左と言えます。「給特法」が「限定4項目」以外の超勤禁止を定めていても、それを遵守し得る客観的な条件(年間標準授業時数とそれに見合う教員数)が整備されていないことが最大の問題であり、この責任は紛れもなく文科省にあります。教員の超過勤務の根本要因が「学習指導要領」に基づく年間標準授業時数過多とそれに見合う教員数の不足にあるのだから、超勤抑制に向けたインセンティブについては、服務監督権者である教育委員会だけでなく、文科省にこそ向けられなければなりません。そのためには、「給特法・条例」を改め、時間外勤務手当化することにより、文科省・教育委員会に教員の超勤に対する予算確保の必要を生じさせ、教員の「正規の勤務時間」を十分に意識した施策立案に責任を持たせる必要があります。以上のことから、「教師の勤務の在り方を踏まえた勤務時間制度の改革」において最も肝要なことは「給特法」を廃止すること、少なくとも時間外勤務手当化するよう見直すことに尽きます。しかし、「答申」はこれを先送りし、実態と著しく乖離している教職調整額すら見直さないとするきわめて不当な考えを示しています。

 「答申」は、「子どものためならどんな長時間でも良しとする」教員の意識改革が必要であるとして、「教師自身において自らの働き方を見直していくことも必要である」としています。また、「給特法」下で、「超勤4項目」以外は自発的勤務と整理され、勤務時間管理が不要との認識が広がり、教師の時間外勤務を抑制する動機付けを奪い、時間管理の意識を希薄化させ、勤務時間縮減の取組が進まないとしています。さらには、先述したように、「文部科学省、教育委員会や管理職、教師を含む関係者の意識が長時間勤務を是としたまま、直ちに現行の給特法の超勤4項目を廃止し、(中略)超過勤務は全て管理職の指揮命令の下で行わなければならないとしたり、(中略)、あらかじめ超過勤務の内容を決めなければならないとしたりすることは、現状を追認する結果となり、働き方の改善にはつながらないのではないか」としています。

 しかし、時間外勤務手当を払えば悪弊が続くとする考えは、授業準備など超勤となっている「超勤4項目」以外の業務が本来業務であることに蓋をし、業務が増えるのは関係者の長時間労働を是認する「意識」の問題であるとした誤った認識に誘導するもので許されません。働き方の意識改革と言っても、本来業務自体を正規の勤務時間外に行っている状況は、意識改革ではどうしようもできません。

 また、「答申」は、「勤務時間管理は、校長や教育委員会等に求められている責務」であり、「適切な手段により教職員の勤務時間を把握することは不可欠である」とし、その上で「校務分掌の見直し等の教職員間の業務の平準化をすすめるとともに、教師一人一人においても自らの働き方を顧みる契機になる」としています。しかし、勤務時間管理によって業務が削減されるわけではなく、本来業務自体が正規の勤務時間外に行われている現状を抜本的に改善することもできません。言うまでもなく、勤務時間を把握する目的は、所定労働時間内に終業したかを確認することにあります。その上で、超勤があった場合は、業務分担の見直し、業務量削減または人員増加、無駄となっている業務の見直しなどを行うとともに、超過した時間に対しては、時間外勤務手当等を支払うのが使用者の責務です。

 したがって、勤務時間管理だけを徹底しても超勤解消にはなりません。教員の長時間勤務の常態化は、教員の意識や勤務時間管理の問題ではありません。また、時間外勤務手当等不支給の違法状態は、「勤務時間管理」や「意識」の問題があるなしにかかわらず是正されなければならないものです。

 「答申」は、「教師の勤務態様としては、児童生徒が学校に登校して授業をはじめとする教育活動を行う期間と、児童生徒が登校しない長期休業期間では、その繁閑の差が実際に存在している」ことから「一年単位の変形労働時間制を適用することができるよう法制度上措置すべき」としています。

 しかし、10年前の文科省調査ですら、長期休業期間中の教員の勤務時間の平均は、正規の勤務時間を若干超えており、長期休業期間中は決して閑散期とは言えないことが明らかになっています。そうすると、変形労働時間制導入の前提条件が欠けることになります。また、日々の労働過重による疲労は直近に回復すべきであり、長期休業期間以外の時期の疲労が相当の期間をおいて長期休業期間中に回復できるものなのか甚だ疑問です。さらには、教職員にとって長期休業期間中は、「給特法」制定時における国会の議論でも確認されたように、本来は研究と修養に努める貴重な期間のはずです。

 そもそも変形労働時間制は、1日の労働時間が8時間を超えても、超勤ではなく法定労働時間内であるとして時間外勤務手当・割増賃金を支給しないで済ます方法であり、1日8時間労働の原則を破り、労働者の健康を犠牲にして人件費を切り下げ、使用者が生産性を上げるための手段に過ぎません。

 また、変形労働時間制導入により、業務量が減ることはなく、勤務時間が短縮される訳でもありません。したがって、「給特法・条例」による時間外勤務手当等不支給に重ねて、「一年単位の変形労働時間制」を導入することは、労働者の賃金と健康・福祉の両面からきわめて問題のあるものです。

 「一年単位の変形労働時間制」は、労基法上、上限が1日10時間、1週間52時間と定められていますが、厚労省「過労死等防止対策白書」(2018)では、教職員の1日の平均勤務時間は11時間17分、忙しくない時期の1日の勤務時間が「10時間超12時間以下」との回答が50.2%となるなど、忙しくない時期でも半数以上が正規の勤務時間(7時間45分)を超えている実態が明らかになっています。教員の場合、1年のうち長期休業期間(年50日以内)を除くほとんどの期間が繁忙期となり、超勤・多忙化が常態化しています。また、先述したように長期休業期間中は繁忙期ではないものの、閑散期とも言えません。このように、ほとんどが繁忙期にあたる教員に「一年単位の変形労働時間制」を導入した場合、定めた年間総労働時間内に収まりきらないことは明らかです。そうすると「一年単位の変形労働時間制」導入は、現状の超勤実態を追認し恒常化させることで、「給特法」と同様に超勤を黙認し、時間外勤務手当等不支給の違法を一層助長させるシステムと言わざるを得ません。

 また、文科省が策定した「時間外勤務時間の上限を45時間」とする(以下、「ガイドライン」)は、「部活動を含む週休日の在校時間等を勤務時間に加える」などとしています。これは、「限定4項目」以外の業務についても超勤を認め、その許容範囲を合法化するものです。しかも、何ら法的強制力を持たないものとなっています。「給特法」は、「超勤4項目」以外の超勤は禁止しているから時間外勤務手当等は不支給という建前で整合性を図っています。したがって、超勤の上限を設定することは、その建前の前提となる「超勤禁止」を放棄することになります。ましてや「給特法」の時間外勤務手当等の不支給が変わらないのであれば、「タダ働き」を許容するものとなり、きわめて問題です。民間企業では割増手当の支給が義務付けられているのに、教員だけは時間外勤務手当すら支払わずに長時間勤務を容認する「ガイドライン」を策定することは違法・不当という評価を免れません。その上、罰則もないのであれば実効性も見込めません。結局「ガイドライン」は、「1日の勤務時間は7時間45分」とした「勤務時間条例」の規定や「原則として時間外勤務は命じない」とした「給特条例」の規定を形骸化し、月45時間までの超勤を許容する二重基準となりかねないものです。

 以上のように、「1年単位の変形労働時間制」と「ガイドライン」導入は、何れも現状の抜本的な改善になり得ないばかりか、超勤・多忙化が常態化している現状を追認し、時間外勤務手当等不払いの「給特法」体制を合理化するものです。

 「答申」は、「休み時間の対応」や「校内清掃」を「必ずしも教師が担う必要のない業務」と位置づけています。しかし、休み時間や清掃は子どもたちの人間関係が顕著に表れる時間であり、その中で教職員は子どもたちの様々な行動や表情から心の機微を感じとっています。また、これらの時間は子どもたちとの信頼関係を築いていく上でもきわめて重要な時間となっています。とりわけ、教科担任制である中学校では、週に数時間しか担任している学級の授業を持たない場合も多く、子どもたちと触れ合い一人ひとりの子どもを理解する貴重な時間となっています。したがって、こうした貴重な時間を「地域ボランティア」等に委ねることは、教育活動に著しい支障をきたしかねず慎重な議論が必要となります。

 「答申」は、「より短い勤務でこれまで我が国の義務教育があげてきた高い成果を維持・向上する」として教育に「効率と成果」を求めています。教育は経済活動と異なり、その成果は一面的に推し量ることができないばかりか、短期間に直接的にあらわれるものではありません。したがって、短期間に一面的な指標で教育の成果を判断することは、人格の完成をめざす教育そのものを著しく歪めることになります。「答申」は、「人事評価で、同じ成果であればより短い在校等時間の教師に高い評価をつける」とするなど、随所に教育に効率と成果を求めており、このことは教職員と子どもの人格的なふれあいを核とする教育を歪め、ひいては、子どもたちへの教育の充実を阻害することにつながりかねません。様々な個性を持つ子どもたち一人ひとりと向き合っていく教育現場において、時間を限定して一面的な評価を行うことはなじまず、短時間で指導を行うことに終始しては、子どもの思いを十分にくみ取り、寄り添うことができなくなります。

 また、「答申」は、業務の役割分担・適正化に向けた学校の方策に関わっては、管理職が目標や経営方針を設定し業務の大幅な削減を行う、学校の組織運営体制に関わっては、管理職が目標や・経営方針を示し学校組織マネジメントを行うなどとし、校長のマネジメントに人事評価や学校評価を活用するとしています。これらはいずれも管理職による子どもたちを蔑ろにした上からの教育の管理統制強化につながりかねません。加えて主幹教諭の配置も、「校長」を中心とした上意下達の「学校運営体制」強化を図るものです。結局、「答申」の掲げる「チームとしての学校の機能強化」は、超勤縮減に何ら効果を発揮するものではないどころか、文科省の意向にもとづき「働き方改革」に藉口して一層学校の管理統制をすすめるものと言わざるを得ません。 

 さらに「答申」は、文科省に対し、各地方公共団体の学校における働き方改革の取組の状況を点数化して公表するなど評価を行い、積極的に取り組んでいる地方自治体に対して予算上、制度上の措置を講じる仕組みの構築などを求めています。「答申」が示す施策の取組状況を自治体間で競争させることは、文科省による教育委員会の管理統制につながり、教育の地方自治の原則に悖ります。

 「答申」は、「教職員定数」について、第7章「学校における働き方改革の実現に向けた環境整備」において、改めて改訂「学習指導要領」にもとづく英語教育の早期化・教科化による標準授業時数の増加に対して「教師の持ち時間数の増につながらないようにする必要がある」と言及したものの、本文ではこの記述に止め具体的な方策を示さず、注釈においてほんのわずかな加配定数措置について記載しています。また、「教職員定数をはじめとして、学校の指導・運営体制の強化・充実が不可欠」であるとしているものの、具体的には専門スタッフや外部人材の配置促進だけ示し、教職員定数改善には言及していません。「年間授業時数」については、「今後更に検討を要する事項」の一つとして、「年間授業時数や標準的な授業時間等の在り方を含む教育課程の在り方の見直し」を挙げたに過ぎません。加えて、「給特法」については「必要に応じ中長期的な課題として検討」としました。

 このように「答申」は、現在の超勤の根本要因である教員一人当たりの持ち授業時数過多を解消するための「教職員定数増」と「年間授業時数削減」については、具体的な方策を回避・先送りしています。また、超勤を助長する元凶である「給特法」の廃止・見直しについても先送りしています。

 このことは、教職員の超勤・多忙化の抜本的な解消につながらないだけでなく、子どもたちが抱える様々な苦悩に応えるものとなっていない点で看過できません。昨今、子どもたちの苦悩を示す指標となる「いじめ認知件数」「不登校数」の増加に歯止めがかかっていません。これらの要因・背景には、「全国学力テスト」とそれにもとづく「学力向上策」によって、子どもたちが「点数学力」至上主義の過度の競争に駆り立てられていることや、教育課程が極限まで過密化していることなど、文科省が推し進める教育施策の問題があります。

 今学校に求められることは、子どもたちの発見や気づきの機会を保障するなど楽しく学ぶ過程を大切にして興味・関心、意欲を最大限引き出すことや、教職員と子どもたちの全人格的なふれあいや子どもたち同士のゆたかな学び合いを通して互いの関係性を深めることができるゆとりのある教育課程・教育活動の構築・創造です。しかし、「答申」は、子どもたちの苦悩を受け止めるどころか、さらに子どもたちからゆとりを奪うことを前提とし、教職員に子どもたちにじっくりと寄り添うことができる心身のゆとりを回復するものとなっていません。

 「学校における働き方改革」は、子どもたちの苦悩を受け止めることから出発し、その苦悩の除去に向けてすすめられるべきであり、そうでなければ「子どものため」にはなりません。