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 「学校」を語る時、その時代を物語るワードがある。「モンスターペアレンツ」「ゆとり教育」「ネットいじめ」・・・、古くはスクールウォーズ世代の「不良」「落ちこぼれ」など。しかしこれらの多くは、子どもの実態をはじめ家庭や生活環境についてであり、「学校」を直接的に表すものは少なかった。そして、「学校」はこれら重大な問題に対して、目の前の子どもたちのために、文字通り必死に真剣に昼夜問わず向き合ってきた。
 さて、今最もトレンドなワードはというと・・・「学校のブラック化」。2016年の連合総研「教職員の勤務実態調査」において、小中学校教員の約8割が過労死レベルの超勤を余儀なくされている実態が明らかとなり、研究者やマスコミが取り上げたことで社会問題へと発展した。しかし、私たち現場教職員してみれば、先述した通り、ずっと昔からこのような実態の中で働き続けており、遅きに失している感すらあるのが本音である。それでも、超勤訴訟等を通して長年訴え続けてきた長時間労働の実態が、これほどまでに注目されたことは過去にはなく、今こそ千載一隅のチャンスであることも重々承知している。
 昔から学校現場はこのような実態だったにもかかわらず、なぜ耐えてこられたのか。二つの理由があると考える。一つは、超勤せざるを得ない場合、私たち教職員自身がその必要性を認め納得していたこと。例えば、学校祭の準備作業で退勤時間後も子どもが残って作業をしている時、夜や休業日に開催するPTA行事、など。もう一つは、杓子定規的な勤務時間の把握が困難なことから、ある程度学校(校長)の裁量で勤務時間の変更が行えていたこと。例えば、突発的な生徒指導によって深夜まで家庭訪問やその対策会議などがあった翌日は少し早めに帰る、運動会当日、準備が朝の6時からだったので終了後は少し早めに退勤する、など。つまり、勤務時間を超えてでも必死に応じて働いた超勤分の振替は、十分ではないにしろ学校の裁量で校務に支障の出ない範囲で取得できていた。
 ところが近年、到底納得できない強制的な業務がじわじわと増えるとともに、2011年の会計検査院実地検査によって、1分1秒の勤務管理が強要されるようになり、現在は教職員の生命線である「校外研修」すら「厳格な運用」によって管理下に置かれ、満足に取得できない実態がある。

 今、「学校」の裁量で行える教育活動は、ほぼ無い。子どもたちは、登校するとまず「朝学習」で学力テスト対策のプリントが待っている。授業では、「学習規律」によって机上は教科書・ノートの置き場所や鉛筆の濃さ・消しゴムの色まで指定され、教員も黒板に書く内容やチョークの色まで決められている。また、給食時間や休み時間はどんどん削られる一方で、「小学校外国語」や「特別の教科 道徳」など膨大な学習量によってパンクするほど増えた授業時間に疲れ切って放課後を迎える。さらに、家庭に帰っては、全国平均より下回っているという「家庭学習時間」を増やすため、莫大な宿題プリントに四苦八苦している。
 教職員も一日に余裕などまったくなく、プリントの丸つけ作業、宿題づくり、そして雪だるま式に増加する各種事業の対応に束縛され、最も重要であるはずの教材研究は到底勤務時間内では行えない。
 このような毎日をくり返さざるを得ないのは、「学力テストの結果を全国平均以上にする」とした「学力向上策」を道教委が押しつけているからに他ならない。

 本来学校は、子どもたち一人ひとりの実態や個々の成長に合わせて、寄り添いながら「生きる力」と「ゆたかな心」を育む場である。そのためには、教職員の独自性と自主性が確保されることが重要である。また、教育のプロとしてのいわゆる「資質」の向上をめざし、自己研鑽に努めなければならず、それこそがこの仕事の醍醐味でもある。しかし、現在の教育行政は、教育の目的を「人格の完成」から国・政財界の求める「人材育成」へと変質させた次期「学習指導要領」にもとづき、「道徳の教科化」によって人の心を支配し、「学力テスト」でとことんまで競争力を煽り、「外国語」「プログラミング」等の適用力によって一部のエリートと多数の物言わぬ労働者を見定めようとしている。
 いったい誰がこんな「学校」にしてしまったのか。
 こんな事態になってしまった今、以前の「学校」を知る私たちの世代が、教育を再び現場に取り戻し、子どもたちとともに学ぶ喜びを若い世代に伝えることが重要である。
 今こそ、奮起しなければならない。

北教組教育文化部長 著

一般財団法人 北海道労働文化協会発行『労働文化』より転載

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