しかし、教職員には残業代がないことを世間は知っているのだろうか。多くの労働者は、残業代を生活費の一部と考えているだろう。しかし、教職員にはこの残業代がない。 1971年に定められた「給特法」によって教職員調整額4%が支給されている。この4%は当時の1週間あたりの平均超過勤務が2時間弱だったという実態から導き出された値である。(月にすると7時間41分相当)それを超過する残業は「命じていない」「自発的にやった仕事」として見なされているため、賃金は支給されない。つまり、「働き方改革法案」の「高度プロフェッショナル制度」と同じようなもので、「定額働かせ放題」は、教職員においては、ずいぶん前から行われている。しかも、教職員は今回の国会における「働き方改革」の議論からも省かれている。 馳浩元文科大臣は(2015年10月から2016年8月在任)教職員の勤務実態調査をして「給特法」の改正をやると言った。しかし自民党から出てきたのは「変形労働時間制」の導入である。これは簡単に言うと、超勤時間分を夏休みなどの長期休業中にまとめ取りするものである。しかし現場では、「夏休みを迎える前に体を壊す」という悲鳴があがっており、問題の根本的な解決にはならない。 企業の人事担当者に、「採用に当たって、重視する要素は何か」とたずねると、「コミュニケーション能力」だという答えが多く返ってくる。「最近の若者はコミュニケーション能力が低い」ということをよく聞く。しかし、実はコミュニケ-ション能力がどういうものか理解されてもいない。これも大きな問題である。 今年度から移行措置として小学校で外国語の時間が始まり、高学年では2年後に教科となる。これは、経済界からの要望で、「グローバルに活躍できる人材を学校で育成する」ことがねらいである。ここにはいろいろな問題点がある。 まず挙げたいのは、英語を話せるからビジネスができるわけではないということだ。「人材」という言葉は人を材料としてしか見ない企業側の言い方である。学校は企業戦士を育てる所なのか?学校って一体何なのか?と思う。 この外国語の時数が稼げなければ、夏休みにやれというのだ。先ほど述べた、超勤のために変形労働時間制を導入することと矛盾する。 学習指導要領は戦後「参考」という扱いだったのに、今は「法規としての性格を持つ」とされ、教育内容すべてを管理統括している。「型にはめる」「教え込む」。どうしてこれで自ら考える子が育つのか。 学校は今や子どもたちを「なぜできない?」「なぜ点数がとれないんだ?」と追い込み、挫折を味わわせる場になっている。そして、本来学び続けなければいけない教職員には時間的余裕がなく、教職員は小学生より本を読んでいないという調査もある。つまり、学校が人を育てる場になっていない。 教職員が過労死ラインで働き続けることは、「大したことではない」と見過ごせない問題である。教職員にとってはもちろん、子どもにとっても由々しき問題なのである。 |
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