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 岸田内閣は7月22日、安倍元首相の「国葬(国葬儀)」を9月27日に日本武道館で行うと閣議決定した。

 北教組は、「国葬」を行うことについて、憲法上問題があり、民主主義の観点からも疑義があることから反対する。とりわけ、学校における弔意の実質的強制につながりかねず、子どもたち・教職員の思想・良心の自由の保障と民主主義を担う主権者教育をすすめる観点から、重大な懸念があり認められない。

 政府は、「国葬」とする理由について、「歴代最長の期間、総理大臣の重責を担い、内政・外交で大きな貢献をした」などとしている。 しかし、安倍元首相は、特定秘密保護法制定、集団的自衛権行使を容認する「解釈改憲」、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定など国論を二分した問題の数の力による強行や、国会における度重なる虚偽答弁など、立憲主義を破壊してきた。

 これらの安倍内閣の各政策を「国に対する功績」と評価して「国葬」を行うことは、立憲主義の要諦である国家の価値中立性に反するとともに、憲法の基本理念を揺るがすものであり容認できない。政府が特定の政治家についてその業績を一方的に高く評価し、その評価をたたえる儀式として「国葬」を国費によって行うことは、「国家として当該個人への弔意を表すもの」となり、すべての国民に弔意を事実上強制する意味をもつ。これは、憲法で保障されている思想・良心の自由の侵害にあたる。さらには、故人の評価を国是として国民に同調を求め、安倍元首相を礼賛する実際上の効果により「神格化」されかねず、民主主義の根幹が問われるものである。

 日本では、「大日本帝国憲法」下で1926年公布の「国葬令」のもと、皇族と「国家に偉功ある者」に対して「国葬」が行われてきたが、47年日本国憲法施行の際、平等主義や政教分離など、憲法規定に不適合なものとして「国葬令」は失効した。

 戦後唯一、67年の吉田茂元首相の「国葬」が実施された際には、翌年の国会で当時の大蔵大臣が「法的根拠はない」と答弁しており、75年佐藤榮作元首相死去に際し「国葬」実施が検討されたときも「法的根拠が明確でない」とする内閣法制局の見解等で見送られた経緯がある。その後首相経験者の葬儀は、内閣と自民党との「合同葬」が慣例となっている。政府は、内閣府設置法で内閣府の所掌事務とされている「国の儀式」として閣議決定があれば実施可能としているが、「国の儀式」に「国葬」が含まれる法的根拠はなく、認められない。

 吉田元首相の「国葬」の際には、弔旗掲揚、黙祷の実施、官公庁・公立学校の半休、歌舞音曲をともなう行事の差し控え、娯楽番組放送の中止などの「お願い」が出された。安倍元首相の「国葬」の際にも学校に同様の「お願い」がされ、弔意表明の事実上の強制が行われかねない。現に安倍元首相の葬儀にあたり、山口県、福岡県、東京都、兵庫県三田市、神奈川県川崎市、大阪府吹田市、宮城県仙台市の教育委員会が葬儀に合わせて学校現場における「日の丸」の半旗掲揚を求めた事例が生じた。北海道では帯広市において、葬儀当日午後の市教委からの電話要請にもかかわらず、市内全小中学校39校のうち35校で半旗掲揚が行われた。

 「教育基本法」では、14条2項で「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と明記しており、様々な専門家からも「学校が個別の政治家について、弔意を表明することは、子どもに特定の政治的な価値判断を押しつけることになり、教育基本法に反する」「教育委員会の弔意表明の要請は、教委の政治的な中立性を損なう行為でもある」などが指摘されている。「国葬」実施によって国家をあげてまつりあげることにより、子どもたちに安倍元首相が「特別な人として刷り込まれる」ことになりかねない。このことは、民主主義を担う「自ら判断して行動する主権者」の育成を阻害するものである。

 先にあげた当該教育委員会は、「協力を要請しただけ」「掲揚は各校の判断に任せた」「弔意を強制したつもりはない」などとしているが、この件にかかわらず現在の学校現場において、教育委員会の様々な要請を校長判断で「実施しない」ということはほぼあり得ず、実質上の「指示」「強制」がまかり通っている。

 以上のことから北教組は、「国葬」実施、および学校現場に対し各自治体・教育委員会による弔意の実質的強制につながる通知または口頭などの働きかけに反対する。

 2022年8月24日

北海道教職員組合